事務局ブログ
2009/6/30
飛行機が遅れ、おまけに一時間半も荷物を待たされたせいもあって時間がなくなりホテルに寄る前に家に直接行こうということになりました。
LAX空港から車でハイウエイを40分ほど飛ばしてオレンジ・カウンティーのビルさんの家へ。家の前には,DUKE OF UKEのジャケットに写っていたあのシボレーのクルーザー、リミテッドが停まっていて大感激。さっそく写真を撮りました。
家に入るとビルさんは近所の友だちとウクレレとギターでセッション中。家の中なのにジャケットにネクタイという出で立ちでライマナの赤いウクレレを弾いていました。ビルさんはとてもフレンドリーで,終止ごきげんでした。
一緒にランチをいただいたのですが,ビルさんはパットが買って来たポークのサンドウィッチには手を付けずパットの奥さんが作った野菜のスープをたいらげていました。辛いものと,固いもの,生ものは苦手みたいです。
話を聞くといちいち驚かされることばかりです。パットさんが50ドルで手に入れたというヌネスのウクレレのオリジナルケースに,当時の有名なビーチボーイたちのサインが入っていて、それを見たビルさんは「みんな友だちだ,よく知ってる」と言ってました。よく見ると,あのデューク・カハナモクの兄弟たちの名前もありました。(デュークのは無かったけど)
1927年頃にカマカ・ウクレレの製品チェックを全部やっていた,とか,カマカが作った最初のパイナップル型のウクレレは僕がもらったという話も。当時ハワイ中のシアターで演奏していて,みんながウクレレをくれるので,最初の一本(ヌネスです)しかウクレレは買ったことがないといっていました。マーチンの5Kは見た目はいいが音は良くないとか、そうとうたくさんのウクレレを持っていたみたいです。でもそれらはみんな誰かにあげちゃったそうです。残念、一本でも見たかった。
22才の時にメインランドに移ったそうですが、また一度ハワイに戻っているみたいです。
ロイヤルハワイアンホテルでミュージカル・ドライバーとして有名人をたくさん案内し、彼らの前で歌ったり、ウクレレを教えたりもしたそうです。女優のシャーリー・テンプルもその一人だそうで、家の壁には写真もありました。
1936年,一度だけ仕事で行った上海でジャンゴ・ラインハルトに会ったことがあるとか,バーニー・ケッセルもよく知ってるとか、とにかく伝説の人たちや有名人の名前がポンポン出てきます。とにかく、ビルさん、頭はシャープでいろんなことを良く覚えています。インタビューはかなり面白いもののなるのではないでしょうか?徹子の部屋に出てもらいたい(笑)
夜、一緒にウクレレサークルの集まりに連れて行ってもらいました。場所はアイランドバザールと言う名前のウクレレショップ。元はラタンを売っていた店だったそうです。一人5ドル払って、席に座り、ステージの先生と一緒にハワイアンソングをウクレレ弾きながら歌う、そんな集いで、20人以上いましたが、みんな楽しそうでした。先生はエディ・カマエの叔父だか甥っ子?の人だそうです。ビルさんもそこで3曲演奏し、生徒たちと撮影をしたりサインをしてあげていました。たまにそうしているみたいです。
夕食はみんなで和食レストランに行ったのですが、ビルさんは麺類が好きだそうで、中でもうどんは大好物だそうです。天ぷらも食べていました。
パットさんは食べることが大好きみたいで、たくさん食べるし、すぐにお腹は減っていないか、と聞いてきます(笑)
7月1日
ビルさんの家の庭で、コメント撮り。日本のファンの皆さんへビルさんからメッセージをいただきました。カメラを置いた僕のすぐ目の前でその時に歌ってくれたのが[Young at Heart]。最高に感動しました。これだけで数年長生きできそうです(笑)
午後になって、パットさんにビーチに行こうと言われて車に乗りました。近くのビーチと思いきや、ほとんどサンディエゴの近くじゃないかと思うくらい南までがんがん車を飛ばし一時間ほどでやっと目的地にたどり着きました。
サーファーが集まるビーチらしく、州がビーチ沿いの駐車場を舗装しようとした時に、サーファーたちが猛反対して中止になったそうです。彼らに愛されているビーチなのだということはよくわかります。
ビーチでは老人たちが車座でギターを弾いていました。ギターが3人、たらいのベースにコンガという組み合わせ。パットさんはこれを見せたかったみたいです。ハワイアンの古い曲をみんなで演奏しているのですが、アドリブをまわしたりして、それがびっくりするほどみんなうまいんです。
毎週水曜日、ビーチに集まっているそうですが、なんとこれを40年代の終わりからずっとやっているそうです。パットさんはその輪の中に入り、ウクレレを弾いて歌い出しました。それをビーチチェアに座りずっと聞いている老婦人たち、ストローハットをずっと編み続けている人、子供と犬。その様子も60年間変わらないそうです。もちろん彼らは(女性たちも)今よりずっと若かったはずですが。
これがカリフォルニア・スタイル?と聞くと「ずっと昔からのカリフォルニアスタイルさ、僕はつい5年前から参加し始めた新参者なんだ」とパットさんは笑いました。
こんな風に音楽を楽しめるのは最高ですね。僕もこんな老後を目指そうと本気で思いました。
そういえば、ビルはサーフィンをやってたの?と聞くとパットさんは笑って、泳ぎは得意じゃなかったみたいで、よくビーチボーイたちにからかわれてたらしいよ、と教えてくれました。でもビーチは大好きらしく、ビーチボーイはみな友だちで、彼らのパーティーでは必ず演奏していたそうです。パットさんから何度も聞く言葉ですが、「とにかくビルはずっと演奏してるのが好きなんだ」ということです。
7月2日
木曜日のビルさんはとても忙しい。午前中から日が暮れるまで家を訪ねてくる生徒さんたちにウクレレやギターを教えているそうです。生徒さんの数は全部で22人、全部プライベートレッスンです。
彼はウクレレとギターだけでなく、ベースも弾くし、バンジョーの名手でもあるらしい。スティールギターも弾いていたそうですが、ずいぶん弾いていないからもう忘れているかも、と本人は言っていました。今はウクレレだけに集中していると。
「軽くてどこにでも持ち運べるし、引きながら歌えるし、ソロも弾ける、いろんな風に表現できるウクレレは素晴らしい楽器だ」とも言っていました。
ギターの方が需要があるという理由で、ギタリストに転向してから、ずっと人前で演奏することは無かったそうです。2001年、最愛の奥さんを亡くすまでは。ビルさんが94才の時のことです。
その2年前にたった一人の娘さんを亡くし、そして続けて奥さんに先立たれ、ビルさんはほとんど誰とも話が出来ないほど、落ち込んだそうです。失意のビルさんをウクレレの音色が癒してくれたのは間違いないことだと思います。
午後、またもやパットさんに連れられサンディエゴの方までロングドライブ。パットさんはバイクも乗るそうで、かなり行動的です。
ビルさんはといえば、車が大好きなんだけれど、飛行機は苦手でずっと乗らなかったそうです。
昔、中国へ仕事に行った時も、ハワイを往復する時も船だったそうですから、そうとうの飛行機嫌いだったんでしょうね。それが飛行機に乗れるようになったのはつい6年くらい前かららしく、早さと便利さにようやく気づいたみたいです。日本の新幹線に乗ったらさぞかしびっくりすることでしょう。反応を見てみたいです。
今日はビーチ沿いの道をドライブしました。ラグナビーチあたりからずっとサンディエゴにかけては日本の湘南みたいな場所で、海はハワイほどきれいじゃないけれど、全体にまったりしていて、ペリカンは飛ぶし、ハミングバードは舞うし、たまらん土地です。そういえば、何年か前にサンディエゴから入国し、同じ海岸沿いの家に泊まった時に、World Hits〜に収められたtsunamiをそこの庭で録音したのを思い出しました。
さて、着いた先はオーシャンサイドで毎週木曜日に開かれる集いUKULELE SOCIETY OF AMERICA。レストランの大広間で、これまたアイランドバザールの集いみたいにみんなでハワイアンソングを中心にウクレレを弾いて歌い踊るんですが、次々に歌いたい人がステージに上がり、踊りたい人が裸足になって踊る、いわゆるカニカピラ・スタイルです。元気で笑顔が素敵なおばあちゃんがたくさんいました。パットさんのおかげでまたウクレレ輪が広がりそうです。
ちなみに今日は午後だけで3回くらい「お腹はすいてないか?」とパットさんに聞かれました。ちゃんと食事はしてるのに(笑)
7月3日
オレンジ・カウンティーは今日も晴れです。
早朝の便でL.Aを発つことになっていたのですが、パットさんが車で空港まで送ってくれるというので、お願いすることにしました。まさかと思ったけれど、ビルさんまで見送りしてくれるというので感激でした。
早朝なのにと、こちらが恐縮していると、いつも早起きだから大丈夫だよ、とビルさん。「僕は昔からあんまり寝ないんだ。毎日3時間くらいの睡眠で大丈夫なんだよ。昔からそうなんだ。8才の時に父親が家を出て行ってからは僕が働いたんだ。一日に3つの仕事をしていた。寝る時間なんてなかったよ」それからずっと短時間の睡眠なのだそうです。
「夜は僕の方が早く寝るのだけれど、夜中に目が覚めると、ビルさんの部屋からウクレレの音が聞こえてくるんだ」とパットさんも言っていました。
デルタ航空のターミナルでお別れ。今日のビルさんは白い帽子に白いスーツ、ほんとにおしゃれです。
正味3回しか会っていないのに、そして、またすぐに日本で会えるのに、なんだか名残惜しくてたまりませんでした。なんだかそんな人なんです、ビルさんは。短いL.A滞在でしたが、色んなものが見れたし、何よりもビルさんの話をたくさん聞けてよかった。再びオレンジ・カウンティーを訪れる日もそんなに遠くないような予感がするのでした。(続く・・・かも)
ウクレレ愛好家 関口和之
